吉祥のスタッフが蔵元を訪ね、酒造りの現場や造り手をご紹介いたします。

蔵元に纏わる思い出【西酒造編】

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今では芋焼酎と言えば横浜の方でも多くの方々が楽しんでいます。

この先駆けとなり火付け役となったのが鹿児島・西酒造なんです。

鹿児島に旅した今から12年前、ある飲食店で西酒造の焼酎と出会いました。

芋焼酎らしくない柑橘系の香りのするフルーティな芋焼酎!

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それが富乃宝山でした。

私はこの焼酎にすっかりはまってしまい、販売したいと思い早速蔵元へ手紙を書きます。
そして、電話。「専務は蔵に入っていて電話でれません!」と事務の方から言われました。

それから電話すること300回以上!
朝に昼に晩に電話し、結果は蔵の中か、外出・・手紙も何十通と書きました。  

普通、この時点で諦めます。

実は蔵元は試していたんです。酒販店が本気かどうか?!

そうして1年半、やっと電話口に出てくれました。が、しかし芋焼酎の仕込み時期に入っており面談はできないと!それだけ神経を集中し、時間を造りに当てていました。

それから半年後の1月中旬にアポがとれ鹿児島・西酒造へ。  

蔵で西陽一郎専務(現在は社長)と互いに酒に対する考えや姿勢を語り合うこと5時間。

すると突然、『坂田さんやってくれますよね!』、
もちろん『横浜でこの情熱を伝えますよ!』とがっちり握手♪

そして蔵から車で帰る際、私が車内のルームミラーから見たものは・・・。

西専務一人で腰を直角に折った礼の姿勢でした。

この時の私の体を走った衝撃は今も忘れていません。
この蔵と共に歩むと誓った時でした。  

現在は蔵も当時と変わり水質のよい場所へ移転し大きくなりました。
年に何回も蔵を訪ねる私ですがいつも帰りの際は、スタッフの大勢が玄関口まで出てきていただき、あの時の西専務と同様に送ってくださいます。

信念は変わっていません。 

「よい酒」は「よき人」が醸す!これが私の信条です。

横浜でも数少ない西酒造販売特約店であるKISSYO。
焼酎を「国酒」とさせるべく情熱をもって醸す西酒造。

KISSYOはこれ からも伝えてまいります。